アート(美術)からみえる

こどもも おとなも

みんなで つくれたらいいな~♪

島の愉しさは、どこにいても海がみえること。特に三宅島からは、他の島々をいつも眺めることもでき、心が弾みます。また、離れ小島や沖の岩、それにあたる波しぶきには、かつて眺めていたであろう先人に想い馳せつつ、魅惑されます。伊豆諸島の各々の島に特有な火山がつくりだした岩があり、同じ島のなかでも場所によって、白・黒・赤と、様々な色の海岸。大小の入り江や岬、刻々と変わる海や空、雲の形。

眼前に広がる風景に心身ともに浸り、あるいは実際に海水や岩、草木に触れ、海山の恵みを口にするなか、そういった「島」を’表す’こと(表現)で、大切に想い、ある意味同一化を目指し、伝えたいというような衝動にかられます。

 

美術は、言葉では表わせないものごと、言葉では感じられないものごとを、視覚や触覚で反芻し 伝達することができると思います。

色の美しさは 追求ていきたいもののひとつですが、同時に、弱視や色覚が異なる など見え方が特有であったり、見えなかったりする人にも伝えられ楽しんでもらえる可能性を、心に留めてきました。私は語学が苦手で外国語はできませんし、文章を書けば理屈っぽくなってしまいますし、小さな子どもに声をかけてあやしたり 声を出して歌ったり 話をしたりするのも ちょっと苦手ですが、言葉を超えて共有できるものを、発信したいと思うのです。

 

作らなくては・描かなくては、ちょっとおかしくなってしまいそうになることもあるくらい、創作活動は、自分にとって食事のように不可欠なものだと感じます。人それぞれに そういったツールがあるのだろうと思いますが、私にとっては ’木彫や絵画を自分で作ること’ でした。’甘いお菓子のようなもの’…癒しにつながるものとして作品を作っていることが多いですが(いつからか、「それでいい」と思うようになりました)、理不尽へ闘う気持ちをぶつけることもあります。(どちらも’理想’なのかもしれません。)

 

制作をする中で、表現の技術を磨くことの重みを ひしひしと感じます。自分に合った表現方法を訓練してこそ、的確に伝えることができると思うからです。とても時間のかかることで、完成もなく、自分の納得のいくものに少しでも近づけるしかないことでしょう。

また、’表す’だけではなく、創作という方法で’考える’ことができるのも、アートの有意義な点です。言葉で考えることとは少し違って、意識されない心の部分であるかもしれませんが、ひとの中にあるそういった部分を醸成することが、美術にはできるのではないかと思います(表現の技術が高まることで、それがスムーズにできるようになる感覚があります)。これは 屋外の自然に触れるときと 似た感覚なので、島に関する創作をするとき、相乗効果のようなものを 感じています。

美術と学問など 他の色々な分野との’交流’によっても、双方にとって有意義なものが生まれる可能性に 満ちていると思います。

 

しかし哀しいことに、美術へ真剣に取り組むことは、周囲から それほど温かい目でみられるものでも ありません。’将来’を心配されてしまったり 肩身の狭い思いをしたりします。それが足かせとなり 躊躇していたことが悔やまれ、’真剣に表現へ取り組むことの大切さ’が、’アートの力’が、もっと市民権を得られるといいなあ と思っています。

島には、美術館やアート教室などがないので、美術に触れる機会も 周囲に広げていきたいです。

 

 

また、特に習得するための訓練が必要とされる 伝統的工芸や建築に関する伝統的な技能や、縄をなったり民具をつくってきた民俗的な技能、古から伝えられてきた意匠を’愉しむ心’も、大切に受け継いでいきたいものです。