学びからみえる

 地域の日常を詳しく知り、記していく中でわかってくる 歴史や精神世界が あります。「あたりまえ」のことが、実は 大事なことも あります。とくに「民俗(学)」という分野が、多くを教えてくれるように思います。

暮らす中で得た 情報や 聞き取りなどから 色々なことがみえてきますが、そういった「地域の伝承」に加え、文献からの情報、複数の聞き取り結果の照合、他の土地との比較など、情報を吟味・整理し 確かだと思われる事柄の記録を 蓄積していきたいものです。ひとの感情や感覚などの情報も大切にしながら、科学的な目線をもって 学ぶことが 活きてくると 考えています。また、自律的に学び考え論じることから、公平な倫理観が醸成されるよう、島の子どもたちと「愉しい学び」を広げていきたいです。学びは、元来 ひとが幸せに暮らすための、営みなのですから。

 

 大学3回生の時に「生活空間論」の授業で 伊従勉先生に同行した 京都大原の祭礼(ルート)調査にとても興味をもち、卒業論文でのフィールドとして 詳しく調査をしました。深い歴史を持ち、古いものが生きている 京都の小さな山里に 度々足を運び、一年間、主に信仰に関わる年中行事をみさせてもらったのです。盆地に点在する複数の集落は夫々に異なった文化をもちつつ全体が共同体でもあり、中には神仏習合の影をみることもできました。この方法が、同じく 自然に囲まれ 且つ神仏習合の影も色濃い古い記憶が生き、各々の特徴をもった複数の集落を内包する島での、暮らしながらの探究に とても合っています。進路変更をした為に 大原での調査研究が中途半端になってしまったことは 今でもとても反省しています。島では 何事にも負けず 生涯にわたり行っていかねばと 思うのです。

 

  三宅島に調査へ来られる、研究者の先生方や学生さんの存在を とても頼もしく思っています。御研究の成果を学び、情報交換をしていきたいです。ぜひご連絡をいただけましたら幸いです。

→ブログ「島役所《跡》日記」に調査記録や情報を掲載しています。

聞き書き(聞き取り調査)

昭和20~30年代までかなり古くから続いていたものがのこっていたようです。離島という厳しい環境と、自然に囲まれた暮らしの中で積み重ねられてきた貴重な記憶を記録すべく、高齢の方からの聞き取りを、急務として取り組んでいます。

文化的景観や生態学、ランドスケープなどの研究者の先生方の各々の御専門から、方法を含め多くのことを学ばせていただいています。

 

古代・中世と、現代(「三宅島史」以降)の歴史についての記述が遅れているという声を聞くことがあり、忘れ去られてしまう前に、記録をしていくべきと感じています。


民具の収集

三宅島に特有のものとそうではないものがありますが、かつての島の暮らしを体感できるものを、譲っていただいたり、撮影させていただいたり、使い方を教えてもらったりしています。

「作り方」は難しいものが多く、ぜひ習ってくれる 仲間がほしいです!!

→つくる活動についてはこちら

 

いずれ、展示をする機会や場所を得たいと、密かな目標にして 少しずつ取り組みたいと思います。


神楽などの神事や信仰に関する調査・実践

現在、祭で奉納される「神楽」は、太鼓と歌・巫女舞ともに、とてもシンプルなものですが、実は とても古い形がのこっているものの ようです。「神楽歌」の系譜や、島での変遷を、考古学や神道学の研究者の先生方から学んだり、資料や聞き取りから探ったり しています。神楽を奉納する者として、できるだけ 古態を伝えていくことが 務めと感じます。2000年の噴火までは神楽などの神事の中心となっていた「社人」の方々のお仕事や多くの方々の信仰心を大切に伝えたいと思っています。

 

他の神事についても、「三宅島(あるいは伊豆諸島)特有のもの」について きちんと伝えていきたいと 切望しています。竹の御幣をつくり、アジサイの葉にご飯をのせてお供えをするなどの、小さなことも島の自然環境と繋がります。

 

伝わってきた神事を行うことは、’現在をつくってきた先人’ や ’長い間ここでの暮らしを守ってくれている神さま’ の想いに叶う、この土地に生きる知恵でもあるのではないでしょうか。

島のひとにとっての「神さま」(信仰の対象)についても、神話『三宅記』で語られる系譜をたどるだけではわからない、土地(そして、その自然)とのつながりについて、暮らしながら学び、探りたいと思います。かつて伊豆諸島・三宅島が、島外から特異な火山島(群)として崇められたことは、島のひとの信仰にも影響を与えていることは確かですし、噴火に関わる島内から起こった信仰とともに、この島のとても大きな特徴です。その大きな存在の陰に隠れてしまいがちな、島の中での日常の身近な自然に対する祈りがあります。特に、自然豊かな島であってもやはり、少しずつ暮らしは他の動植物から離れてきた現代、身近な神社の系譜を神話の由来に頼りすぎてはいないでしょうか。神仏習合も、今では忘れられ「神話」といえば神社だけが意識されることが多いものですが、三宅島には、現在でも神と仏がセットで崇められていた跡がのこります。神社と神話がひとり歩きして、本来の島のひとにとっての存在—それはおそらく、自然と暮らしとの関係にも関わると思われる為—から離れてしまわないよう、神社の佇まいやどのようにお祀りしてきたのか(していくべきなのか)…それを、見極め伝えていきたいのです。

 

古が、現在・未来へ語りかけてくれる意味へ思考を巡らせつつ、在るべき信仰 —心 の文化を、育んでいきたいものです。


島の文化を、専門家へつなげる―「島内の目」「島外からの目」

伊豆諸島には、生物や火山に関する自然科学系の研究者が多く調査に入られていますが、離島ならではの文化に注目した島外の研究者も、よく訪れています。宮本常一のような著名な民俗学者も関心をもっていたようです。昭和32年東京都文化財総合調査でも来島した本田安次や、大間知篤三が記した民俗の記録は、その当時にはまだ残っていた’古’に気づき、他の地域との比較を基に記されていて、今となってはとても貴重です。島外の研究者が「発見」してくれる、島の「日常」や文献のなかに、大切なことが沢山含まれていることは多く、これからも、色々な専門分野の研究者(大学の先生など)へつなげる必要性を感じています。

 

島内でも、「郷土史家」とよぶべき方々が名を連ね、郷土について記し、島外からの研究者とも交流してきました。「三宅島史」を含む著作からは、背景にある信仰の存在がひしひしと感じられます。その「信仰」のうちにも、様々な島内・外からの目が含まれていますが、島の中にいることでしかわからない感覚が、あるかもしれません。

 

やはり、島外からの目と、島内のひとの目線では、みるものが違うように思い、それぞれの視点からの考察を大事にしたいと思います。

文化人類学が重視した「参与観察」という形は、まさに、地域の外の目と内の目を両立させて知ることに意義を見出しており、私自身はその役割に学びたいと思っています。